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真実って

おはようございます。辰です。

急に「今書かないといけない」という気持ちに襲われたので少々長話を。

真実はどんなものなのか、というのを結構頻繁に考えたりします。
この話題の実例に当たるので切欠は後述しますが、真実って『真』に『実』って書く割りに非常に曖昧なものなんですよね。
事実は実際に起きた事を、真実は嘘偽りのない事を意味しているのですが、不思議と現実はなかなか事実=真実にはならないのが常。
常に事実=真実という図式を実行できている人が居るとしたらどんなエスパーですかと思っちゃいます。

事実についての定義までやると長すぎるので先述の通りという事として、
では真実はどう違ってくるか?

個人的意見ですが、先述の真実の定義『嘘偽りのない事』という部分に焦点を当てれば違いは見えてくるのではないかと思っています。
この嘘偽りというのが曲者で、何をどうやっても『当事者の視点からの嘘偽りのない事』を抜け出せない。

対人関係に置きかえてみますと、当事者AとBが対立しているとする。
この場合、真実と言う枠組みの中で言えばお互いが正しい。だからこそ対立になる。
ですが当事者AはBの脳内まで分かるのでしょうか。その逆もまた然り。
というようにお互いの真実の中には『嘘偽りとは思っていないが、不明な箇所を憶測で埋められた真実』というものが含まれやすいと思います。

ここまででは対立の中で解決可能な面もあるためまだ易しい部分です。
お互いの認識の違いを潰しあえばどちらかの誤り、または妥協という線は見えてくる可能性もあるはず。



ですが、ここで第三者Cを含めるとする。
そうした途端、真実というものは非常に脆い物になってしまう。
第三者Cが介入することで何が起こるかと言いますと、集団心理と先入観。

当事者AがCに自分の真実を告げる。
当事者BがCに自分の真実を告げる。
これが同時に行われるならそもそも第三者Cは不要ですね。
先述のAとBが対立している状況とそう変わりないので。

恐ろしいのは『どちらかの意見だけを先にCが肯定してしまう事』だと考えます。
肯定された方は『自分の中の真実』の部分が『二つの視点から出た真実』というものに置き換わってしまいがちです。
第三者の真実も自分の真実と一致というのは、確信や自信に繋がります。
ですがその真実、確かに二つの視点から決定された真実ですが、前提が成り立っていません。
どちらかの立場に立ってCは聞いているわけですから、同じ場所か相手側の視点でしかない。
例えここでCが両者とは違う視点を持っていたとしても、それはそれでCから見た一視点でしかないため、実際には二つの視点はどこにもない。
この状況に、どれだけの真実が存在するでしょうか? そもそも事実とイコールになる真実はいかほど?
それなのに、確信や自信に裏付けられた『自分の中の真実』を正すのは非常に難しいという。

また、対立している当事者がわざわざ「自分が全面的に悪い」なんて言いませんよね。
少なくとも自分の中で絶対の自信がある真実はCに教える。
悪い心が働くと、自分が優位になるように教えてしまうこともある。
当事者が片方しか居ない場所でそんな事になるとあら大変。真実は片方のものになって行ってしまう。
たった二人でも、集団というものには含まれる。二人の間の真実が事実として扱われてしまう。
この後にもう片方が意見をしても、Cには先に話を聞いた方が正しいという先入観があり、軌道修正が困難になってきます。
集団が膨らんだらもう目も当てられない。事実は闇の中って感じですね。



とここまで書いたのはいいんですがさっさと寝ろって感じだったり思考が回らなくなってきてたりです。
なので最後に冒頭に書いた通り実体験を少々。

中学の頃の話なのですが、少しのすれ違いで友人のグループから村八分になった事があります。
中学生の時の考えなんてと思われるでしょうが、思考の至らなさというよりは集団心理による難題化だったのでまぁ適当に読み流してください。

どうやら当時に、僕は友人Aの機嫌を損ねる事をしたようです。
僕としては覚えもないのにそんな仕打ちを受ける言われはないと文句を言いました。
そうすると友人Aは不機嫌なのでそのまま立ち去ります。
他の友人は第三者的立場でしたが、友人Aからの話だけを聞いており「本当に分からないの?」と言われました。

三日三晩、というと少し誇張表現になりますが、かなり悩んでも思い当たる節がありません。
仕方ないので当人に直接、分からないままでしたがこちらが悪いのだろうと謝りましたが、理解なく謝られるのは不快なようで無視して立ち去って行きました。
こうなるともはやどうしろという感じなのですが、とりあえず他の友人に聞いてみても「自分で気づけ」との一点張り。
正直友人Aがそういう態度だからそれに倣って同じような回答を返したように思えますがまぁこれは僕の視点なので割愛。
流石に理由もわからないまま不当な扱いにしか思えない事をされ続けていると僕としても限界でしたので、別のグループとよく絡むようになりました。

それでも時たまそれとなく理由を聞き出そうと動いてはおり、
半年ぐらいしたある日、一人の友人からその理由を告げられました。
それは僕には全く身に覚えがなく、また村八分の扱いを受けるほど深刻なこととは到底思えない事でした。

それでも事実であれば僕が悪い事ではあったので、それを機に再び友人Aに謝罪に行きました。
あちらもいい加減落ち着いていたのでそれで事態は収拾した……のですが。
その時当人から告げられたのは一人の友人から告げられた理由とはまるで違っていた事です。

それによって分かった事ですが、どうやら話が広がるうちにグループ内での認識すら曖昧な物になっていたようです。
結局何が原因だったのかは教えてもらえませんでしたが、正直全員友人Aが正しく聞こえたから理由は分からないが僕が悪いという感じになっていたのでは?
と思わないでもないですね。半年も疎遠になる事態だというのに誰も本当の理由を知らなかったのですから。

この件については正直納得のいかない事だらけなのですが、
これを機に僕は「第三者なら片方だけの意見は信じない」というのを心がけてます。

ただ、愚痴の場合は相手が求めているのが真実や事実ではないので
相槌打って肯定しておくのがお互いのためだったりしますね…………。

ではでは、また今度~。
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